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当然ながら、歳を重ねるごとに、体験した別れの数は増えていきます。小さな別れ、大きな別れ、生き別れ、死に別れ… ボクの好きなドイツの詩人でライナー・マリア・リルケReiner Maria Rilkeという人がいます。独特な感性で多くの詩や散文を書いています。別れについて書かれた詩で、お気に入りのものがあるので紹介しましょう。無題の短い詩です: ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ So laß uns Abschied nehmen wie zwei Sterne durch jenes Übermaß von Nacht getrennt, das eine Nähe ist, die sich an Ferne erprobt und an dem Fernsten sich erkennt. では私たちは別れよう、二つの星のように、 あの過剰な夜によって隔てられた二つの星のように。 これは近さなのだ、遠さで自らを試し、 限りない遠さで自らを知る近さなのだ。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ リルケがこの詩を書いたのは、50歳になる1925年の初夏のパリ、詩人の死の前年のことです。このパリ滞在中にはほかに、オーストリアの作曲家クルシェネク(クレーネク)の歌曲のためにO Lacrimosaという詩が書かれています。4年前から、最期の地となるスイスのミュゾットの館に居を定めていたのですが、この年の早々1月からパリに滞在し、古い友人たちと旧交をあたためています。すでに体調の悪化から療養所入りを繰り返していたリルケは、ひょっとすると『マルテの手記』を書いた思い出の地パリに、永遠の別れを告げに行ったのかもしれません。というのも、スイスに戻ったこの年の10月に、詩人は遺書を認め、有名な薔薇の詩(別項)を墓碑銘とするよう指定したのです。 「二つの星のように」という書き方からすると、特定の相手が想定されているように、しかもリルケのことであれば特定の女性のようにも読めますが、上述のような背景からも必ずしも特定の相手を考える必要はないように思います。リルケ独特の空間感覚、そして「遠さ」が「近さ」であるという、人間の関係性の逆説、そうしたリルケ的テーマを凝縮した小品だと言えるでしょう。 So laß uns Abschied nehmen von R. M. Rilke |
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至福の調べ ― リルケ
別項(「孤独の調べ」)で触れたように、死の前年、1925年の10月にリルケは遺書を認め、小さな一編の詩を墓碑銘として指定しました。悲願の『ドゥイノ悲歌』と、その副産物である『オルフォイスのソネット』という、2大傑作をものした1922年の後半から、リルケは体調不良を訴えるようになります。そして、翌年から冬になると決まって、スイスの住まいの近くのヴァル・モン療養所に入院するようになっていました。 ...続きを見る |
孤独な散歩者の夢想 2009/01/23 23:17 |
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